2012年10月1日
或る静かな日、何しろ工場が無い松山は、いつも寂としていた。校庭に整列して、先生の指示を受けている私達に、いきなり米軍戦闘機の一斉掃射が始まった。 性能の良い米機は、うんと高空から侵入してくるので、日本側は敵の機影を把 […]
2012年9月1日
南国の太陽は早起きで、その日も、朝からヂャイヂャイと照りつけた。 この私は、およそ女学生とは見えぬモンペ姿。当時は、制服着用を許されず、血液型と氏名を書いた、小さな白布を胸に縫い付け、通学していた。 何処で死のうと […]
2012年8月1日
俳句人に限らず世は論戦好きが多い。今から百年前を見てみよう。九月五日の読売新聞を引用させて頂く(於松山)。 一九〇八年(明治四十一)一月の本紙には、時の内閣総理大臣、西園寺公望のこんな手紙が紹介されている。 「書くにも […]
2012年7月2日
おへんろの国は灸どころ。一昔まえの道後温泉は、土産物やの軒毎に、ほわほわ、ふかふか、蒲の穂絮か綿菓子などの如く、まん丸く盛り上げて「湯ざらしもぐさ」と貼り紙が下がっていた。秤り売りであった。 最近は、松山でもとんと目 […]
2012年6月1日
生命力ゆたかな蓬は神代の昔から青々としてあったろう。蚕や稲や粟・小豆・麦・大豆などと、須佐の男の命が下界に降りました辺に出ているから、草ぐらい有ったと思う。(見たわけではないが) 農耕民族の末裔の末莚に辛うじて、猫額 […]
2012年5月1日
あーあ 田植えはしんどい 大学へ入った 息子よ 長い間の勉強 さぞ しんどかったろ 母ちゃんは 腰が痛うて たまらんと 空を見あげて あくびをしたら 鯨のような 大きい雲を 呑みこみそうになった
2012年5月1日
サイタ サイタ サクラ ガ サイタ で、小学一年生となった日本人は、やがて「天孫降臨」という一大事を救わることになる。 高天原にまします天照大神は、御自身の血すじの神をして豊葦原の瑞穂の国を治めさせようと思し召され、 […]
2012年4月1日
おあむ様物語を読むと、一六〇〇年代の暮らしが窺われる。おあむの父は、大垣石田光成の家来で三百石とりの武士である。真逆の時の用意の貯えは有っても、平常の朝夕は雑炊で食事は一日二度きりであったという。 おあむの兄が鉄砲を […]
2012年3月1日
山里の正月は、真っ青な水菜のシャキシャキと小気味よきさまに、格別気どりもなく、明けそむる東の空から、衿を正す冷気とともに新たまる。 めでたさは、外に暮らす身内が、元気な顔を見せてくれることだ。 町の嫁方に繰り込んで […]
2012年2月1日
扨々、文化・文政の時代といえば、明治となる五十年から六十年前。世の中は、平和だったか苦しかったのか。兎も角、日本の庶民は旅が好き、(防人にゆく以外は。)御存じ十返舎一九の『東海道中膝栗毛』あの珍道中に、煽られたのかも知 […]