すたこらサッちゃん、昭和を生きて
蟋 蟀

 半世紀近くも、一つ屋敷に暮してきながら、私としたら彼らのことを耳鳴り程にも思っていなかった。  虫の音のぐんと減ってきた今日この頃、庭の一隅を占拠するこれら種族のみが、最後の頑張りをみせている、いや聞かせてくれる。   […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
横顔 3

子規の結核は、リューマチに似た症状があり、床ずれと悪性の腫物のくずれたのとで、激痛に号泣の毎日であったというが、モルヒネで痛みを押さえている間に子規は書く。 「うめくか叫ぶか、泣くか、またはだまってこらえているかする。そ […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
亥の子餅

 やりたい事やらねばならぬ事で、年中、退屈している暇が無い。とはいうものの、季節がめぐる折り折りに、昔と呼べる程遠くなった子供時代の思い出は、今もチラリと心をほころばせてくれる。  その一つに、亥の子の祝い餅がある。   […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
横顔 2

  子規の結核は、リューマチに似た症状があり、床ずれと悪性の腫物のくずれたのとで、激痛に号泣の毎日であったというが、モルヒネで痛みを押さえている間に子規は書く。 「うめくか叫ぶか、泣くか、またはだまってこらえているかする […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
44・7・10 雨

半月も降りつづく 雨のなかで まあ このじゃが薯の太ったこと いかに中学生でも 一度に三つは 食べきれぬ 風呂の火を七輪にとって ゆでておくと 夜中に勉強する子が 塩をつけては 食べてしまふ

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
横顔 1

 子規先生の生まれた伊予の松山の町に生まれた私というだけで、おこがましくも大先生のことを書いてしまった。まことに不遜の極みであると大反省したけれど、その生活の一面を知ることによって、なお子規の偉大さが理解できると思うので […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
神風伊勢参宮

 扨々、文化・文政の時代といえば、明治となる五十年から六十年前。世の中は、平和だったか苦しかったのか。兎も角、日本の庶民は旅が好き、(防人にゆく以外は。)御存じ十返舎一九の『東海道中膝栗毛』あの珍道中に、煽られたのかも知 […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
姫だるま 43・4

まっ白いご飯が やっと腹いっぱい 食べられるように なった時 野良で灼けて 伊予の女は ふけてしもうた ナア せめて やわらかい お國言葉で まわりの人を  つつみたい

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
人力車ぞなもし

 十二歳頃迄の私は、すぐ病気をしたがる発育不全のチビッ子であった。小さい事には慣れていたが、女学生の時の寝巻が、付け紐の四ツ身の着物であった事から、其の後、大阪陸軍工廠へ学徒動員された時、寮生仲間に大いに笑われた記憶が有 […]

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すたこらサッちゃん、昭和を生きて
薬石御存じですか

 私、体験しましたのよ。驚きでした。  此の頃少なくなりましたが、新聞をひらくと下の方に「お知らせ」が並んでおり、「この度、薬石効なく永眠仕り候云云」とありましたね。  私は、人名に興味がありましたので毎日全員のを読んで […]

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